弘法にも筆の誤りとは、「弘法大師のような書の達人であっても書き損じがある」という意味があります。
簡単にわかりやすく意味を表現するならば、「誰でも間違いはあるし、完璧な人間は存在しない」ということです。
ちなみに、弘法大師(こうぼうたいし)とは真言宗の開祖である空海(くうかい)さんのことです。 弘法大師とは、空海さんが亡くなったあとについた「おくりな」という称号なのです。
そして、空海とは仏の弟子になったときにつけられた「法名(ほうみょう)」です。 本名は「佐伯真魚(さえきまお)」といいます。
本名を知ると、一気に身近に感じてしまいますよね(笑) 「弘法にも筆の誤り」とは、空海さんに由来したことわざなのです!
「弘法にも筆の誤り」の意味・使い方・類語・例文・由来をわかりやすく解説しました! ぜひ参考にしてください♪
すぐに読める目次
「弘法にも筆の誤り」の意味
読み方は、「こうぼうにもふでのあやまり」です。
- 弘法大師のような書の達人であっても書き損じがある
- その道のプロであっても失敗をするというたとえ
意味をわかりやすく例えるならば、「一流のプロであっても失敗はする」ということ。 「猿も木から落ちる」や「河童の川流れ」と意味はほぼ同じです。
どれだけ技術を持っている人でも失敗をすることがあるというエピソードを、弘法大師(こうぼうたいし)の書き損じを例にしたことわざです。
弘法大師は空海(くうかい)のこと
結論からいってしまうと、弘法大師(こうぼうたいし)とは空海さんことです。
つまり、空海の別名が弘法大師(こうぼうたいし)なのです。
実は、空海本人はじぶんのことを「弘法大師」と名乗ったことはありません。
その理由は、空海が死んだあとに功績や偉業を称えるために送られた「諡(おくりな)」が弘法大師なのです
空海(弘法大師)は、中国へわたり真言密教という仏教の教えを学び、日本へもちかえりました。 そして、真言宗(しんごんしゅう)という宗教の開祖なのです。
諡(おくりな)とは、人の死後に送る称号のこと。
身近なところでいえば、戒名(かいみょう)にあたる。
ちなみに、空海(くうかい)とは法名(ほうみょう)です。 本名ではなく、仏さまのお弟子さんになったことで与えられる名前になります。
本名は、「佐伯真魚(さえきまお)」です。
ちょっと、かなりややこしくなったので空海さんの「法名・おくりな・本名」を整理しておきますね!
- 本名「佐伯真魚」
- 法名「空海」
- おくりな「弘法大師」
「弘法にも筆の誤り」の語源と由来
「弘法にも筆の誤り」の由来をご紹介します。
弘法大師は、平安京の入り口にある「応天門(おうてんもん)」に掲げる額に文字をかくことになったそうです。
しかし、1つだけ書き損じ(ミス)がありました。
「応」という文字の「点」が1つ抜けていたそうです。
この様子から由来して、「弘法にも筆の誤り」ということわざが誕生したと考えられています
実際に、空海(弘法大師)はミスをしたのか?という真実を知りたいですよね。 実は、「今昔物語」に空海が字の書き損じをした話が収録されているそうです(笑) ちゃんと、記録が残っているのがおもしろいですね!
今昔物語(こんじゃくものがたり)とは、平安時代末期に成立したと見られる説話集
「弘法にも筆の誤り」の使い方
「弘法にも筆の誤り」は、複数の意味と学びがこめられていることわざです。
- その道の専門家でも失敗するということ
- 人であれば誰でもミスをするということ
- 得意なことでも油断をすると失敗する
こういった教えが詰まっていることわざです。 その他には、「弘法にも筆の誤りというし、思いっきりチャレンジしてみようよ」と表現をすれば、「失敗は悪いことではない」という意味としても使えます!
「弘法にも筆の誤り」の例文
ことわざを利用した例文をご紹介します!
- 弘法にも筆の誤りということわざがあるくらいだから、僕は常に油断しないように心がけている
- 「働きマン」として社内で有名な上司が仕事でミスをした。弘法も筆の誤りとはこのことか
- イチロー選手が簡単なプレーをミスしているのを見て、弘法も筆の誤りということわざを思い出した
- 「弘法にも筆の誤り」は自分にとっては行動することの重要性と失敗を恐れないという学びを教えてくれた言葉である
- 書道の先生が自分の名前を書き損じたのを目撃して、弘法にも筆の誤りだなと思った
「弘法にも筆の誤り」と「弘法も筆の誤り」どちらが正しい?
答えとしては、「どちらも正しい」です。
その理由として、国語辞書によっては「弘法にも筆の誤り」と書いてあったり「弘法も筆の誤り」と表記されています。 時代や出版物によって差がありますが、意味は同じのため、どちらを使用しても問題ありません。
国語辞書によって差があるが、どちらも正しい
「弘法にも筆の誤り」は目上の相手に使える?
結論から申し上げると、使うことができます。 しかし、敬語ではないため敬意は伝わらない可能性があります。
とはいえ、「弘法にも筆の誤り」は空海という著名な人物を用いたことわざなので、嫌な気分になる人はいないかもしれません。
同じことわざの意味で、「猿も木から落ちる」と「河童の川流れ」というものがあります。
さるとかっぱと比較されるよりも、気分が良いと思うので失礼になることは極めて低いといえます(笑) ただし、あくまでもことわざであり、敬語ではないため使う相手は慎重にえらんでくださいね(^O^)b
2つのことわざの意味や使い方はこちらの記事がわかりやすいです。
【猿も木から落ちる】正しい意味や使い方をわかりやすく解説!【例文】
【河童の川流れ】意味をわかりやすく例文つきで解説【類語も紹介】
「弘法にも筆の誤り」の類語
意味が似ていることわざ・類語をご紹介します。
- 「河童の川流れ
⇒泳ぎが得意なかっぱでも川に流されてしまうことのたとえ - 猿も木から落ちる
⇒その道のプロでも失敗するということ - 過ちは好む所にあり(あやまちはこのむところにあり)
⇒過ち(間違い)は自分の得意なことをしているときに起こることのたとえ - 泳ぎ上手は川で死ぬ
⇒自分の能力を過信して、得意なことで失敗をして自滅すること - 麒麟の躓き(きりんのつまづき)
⇒素晴らしい名馬ですらときには転倒すること - 孔子の倒れ(くじのたおれ)
⇒名人でも失敗をするというたとえ - 千慮の一失(せんりょのいっしつ)
⇒賢い人でも必ず1つくらいはミスがあること - 釈迦にも経の読み間違い
⇒仏教の開祖であるお釈迦様にも経の読み間違いはあること、人は誰でもミスをするというたとえ - 天狗の飛び損ない
⇒天狗ですらときには飛び残って失敗することのたとえ - 策士策に溺れる(さくしさくにおぼれる)
⇒策略のうまい人間は自分の策略に頼りすぎて、かえって失敗する - 川立ちは川で果てる
⇒人は慣れたこと・得意なことで油断をして身を滅ぼすこともある
「弘法にも筆の誤り」の対義語
対義語としては、「愚者にも千慮に一得あり(ぐしゃにもせんりょにいっとくあり)」ということわざがあります。
意味は、愚かな人でもたまにいい考えを思いつくことです。
弘法大師と愚者はまさに両極にいるような人物になるため、反対語であるといえます。 まあ、日常で使うことはほぼないことわざなので、覚えておく必要はありませんが(笑)
辞書などに登録されていることわざの数は4万点以上もある
「弘法にも筆の誤り」の英語表現
「弘法にも筆の誤り」とは日本語のことわざになるため、英語での直訳は難しいです。
意味をそのまま英文にするならば、「Even Homer sometimes nods.」と表現することができます。
「Even Homer sometimes nods.(ホーマーでさえ居眠りをする)」という英文です。 意味としては。「偉大なギリシャの詩人であるホーマーですら居眠りをする」ということ。 つまり、完璧な人間などおらずどれだけ優れた人でも失敗やミスはある。という教えです。
まとめ
それではおさらいしていきます!
- 「弘法にも筆の誤り」とはその道の専門家でもミスをするということ
- 類語は「猿も木から落ちる」「河童の川流れ」
- 弘法大師とは空海のおくりな(死後についた称号)
- 空海の本名は「佐伯真魚」
- 空海とは法名である
- 「本名⇒法名⇒おくりな」の順番で名前が変わった
それでは以上になります! 最後までお読みいただきありがとうございました。 あなたの1日が素晴らしい日になりますように。