日本のことわざや慣用句には、仏教が語源・由来になっているものがたくさんあります。 「え?それも仏教が関係していたの?!」という言葉はじつはものすごく多いのです。
今回は、意外としられていない仏教からなることわざ・慣用句を14選ご紹介していきます。
意味を理解しやすいように、わかりやすい解説をこころがけているので気軽にさくっとチェックしてくださいね!!
すぐに読める目次
仏教が語源となっていることわざ
仏教が語源となっていることわざの意味と使い方の例文をサクッとご紹介します!!
「冥利に尽きる」はこれ以上ない幸せ
「冥利に尽きる(みょうりにつきる)」は仏教の因果応報(いんがおうほう)という思想が関係しています。 因果応報とは、いいことをすれば良いことが結果として返ってくる。 悪いことをすれば、悪いことが結果になって返ってくるというもの。
使い方としては以下のようになります。
「渡りに船」は都合良いこと
渡りに船とは、河を渡ろうとしたときにタイミングよく渡船がやってくるということ。 昔は橋もすくなく、河を超える手段としては、渡船に乗るか、輦台(れんだい)という人が担ぐ船に乗って移動するしかありませんでした。
そういった状況下で、都合よく目の前に渡り舟が通りかかるのはラッキーですよね。
渡りに船(わたりにふね)は、仏教の法華経(ほけきょう)というお経が語源となっています。
法華経(ほけきょう)とは、人々の苦しみを取り除いてくれるお経です。 この法華経のなかの一文に、「渡りに船を得たるが如く」という言葉がある。
ここから転じて、「渡りに船」ということわざが使われるようになりました。
使い方は以下のような文章になる。
さらにくわしい解説は以下のページを参考にしてください。
「情けは人の為ならず」は勘違いされやすいことわざ
情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)とは、人に親切にするのは、その人のためにならないという意味ではありません。
正しい意味は、「他人に親切にすることは、めぐりめぐって自分に恩恵が返ってくるから、誰にでも親切にするべきだ」というもの。
文化庁のデータによるよ国民の5割くらいが誤用しているという結果になったそうです!!
使い方はこのようになる。
ちなみに「情け(なさけ)」とは、他人を労るこころ、人間味のある心という意味があります。
「情け」の意味は?「情けは人の為ならず」の語源と類語を紹介!
仏教に関連する四字熟語には、「因果応報」「善因善果」などがある。
さらにくわしい解説は以下のページを参考にしてください。
「光陰矢の如し」は月日が経つのは矢のように早いこと
「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」とは、月日が流れるのは矢のように速いということ。 光陰(こういん)とは、月日(時間)という意味がある。
語源は仏教の書物や浮世草子、中国の漢文などにも存在するため、諸説あるようです。
別の言い方で、「光陰流水の如し(こういんりゅうすいのごとし)」という表現もあります。
川の水の流れはけっして止まることはない。そして1度ながれた水は元に逆流することはないという意味が含まれている。 時間もおなじように1度過ぎてしまえば決して戻ることはない。不可逆である。
時間の価値を再確認することができる素晴らしいことわざです。 私たちは若ければわかいほど、時間はまだまだあると思いがちですが、誰でも平等に過ぎた時間は戻らないということを、気が付かせてくれる言葉です。
使い方は以下のような例文になります。
「光陰矢の如し」は座右の銘としてもすごく人気のあることわざです。
さらにくわしい解説は以下のページを参考にしてください。
「弘法にも筆の誤り」は仏教の空海さんが語源
「弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)」とは、真言宗の開祖である空海(くうかい)さんが語源となって生まれたことわざです。
弘法大師(こうぼうたいし)とは、空海のこと。 弘法大師は、空海さんが亡くなったあとにつけられた諡(おくりな)
生きていたときは、空海(くうかい)として日本仏教に多大なる影響を与えた人物です。 ちなみに本名は「佐伯真魚(さえきまお)」といいます。
「弘法にも筆の誤り」とは、空海のような書の達人でも書き損じはあるということから、どれだけ優れたプロでも失敗をすることがあるという意味があるl。
類語のことわざには、「猿も木から落ちる」や「河童の川流れ」などがある。
使い方はこちらのような例文になります。
場合によっては、「弘法も筆の誤り」と表記されることがあるが、どちらも正解である。
さらに詳しい解説は以下のページを参考にしてください。
「石の上にも三年」はインド仏教の修行僧が語源
石の上にも三年とは、「辛くても辛抱し、継続していればいつかは成し遂げられること」という意味があります。
語源となっているのは、「インドの仏教の修行僧」と「禅の達磨大師(だるまたいし)」の2つの説がある。
インド仏教では、長期間にわたり同じ場所でひたすら座禅(ざぜん)を組んだり、お経を唱えつづけるという修行があります。
長い場合で、数年〜数十年という内容もあるそうで、このような様子が由来として生まれたことわざなのではないかという説があります。
インド仏教の修行の1つに、長期間にわたり座禅を組みながらお経を唱えるものがあるそうです。
期間にすると数年〜数十年に及ぶこともあり、こういった常人離れした修行から転じて生まれたという説がある
中国禅宗の開祖の達磨大師(だるまたいし)は、私たちがイメージしている「ダルマさん」のモデルとなった人物です。
達磨大師は、悟りを開くため9年間ずっと座禅をして、最終的には手足が腐り落ちてしまったという逸話があります。
だるま大師の逸話から転じて、石の上にも三年ということわざが生まれたという説がある
使い方は以下の例文を参考にしてください。
さらにくわしい解説は以下のページを参考にしてください。
仏教が語源となっている慣用句
私たちが普段なにげなく使っている言葉も、じつは仏教が語源となっているものが多いです。 たとえば、「おかげさまです」という慣用句は、仏教からきています。
慣用句(かんようく)とは、習慣として長い間広く使われてきた、ひとまとまりの言葉、言い回しのこと。
それぞれの解説のあとに、さらに詳しく内容を学べるページをリンク先をご紹介しているのでご覧ください。
「盤石」は仏教の不動明王の台座が語源
盤石(ばんじゃく)は、不動明王の座っている土台が語源になっているという説があります。
不動明王(ふどうみょうおう)とは、仏教における五大明王の1つです。 すごく怖い顔をしているのが特徴なのですが、その座っている台座が金剛石(ダイヤモンド)でできていると言われている。
金剛石はすごく強度が高く、ビクともしないことから転じて、「盤石な状態」などと使われるようになったと考えられる。
盤石という言葉そのものの意味としては「大きな岩」である。
ちなみに、お経にも不動明王が金剛石に座っているという文言が出てくるため、説としてはかなり有力である。
使い方は以下の例文を参考にしてください。
さらにくわしい解説は以下のページをチェック。
「鬼の首を取ったよう」は空想上の怪物である鬼が語源
「鬼の首を取ったよう」とは、「大したことでもないのに、大きな手柄と立てたかのように喜ぶこと」という意味があります。
仏教などに出てくる空想上の怪物です。 大きな体に怪力をもちあわせた悪さをする生き物として描かれています。 この鬼を用いた慣用句になっている。
鬼は、日本ならではの怪物だとおもわれているが、実はインド仏教からきている。
使い方は以下の例文を参考にしてください。
さらにくわしい解説は以下のページをチェック。
「割愛」は仏教用語
割愛(かつあい)とは、「惜しいと思うものを、思い切って捨てたり、手離したりすること」という意味がある。
不要なものを捨てる
惜しいと思うものを思いきって捨てる
多くの人は、「いらないから捨てる、カットする」という意味で使っているけれども、正しくは惜しいけれども思い切って捨てる、手放すというもの。
愛する故郷や大切な友人などから離れて寺に入ることから由来しています。
こういった語源を理解しておけば、ムダだから捨てるという意味はふくまれていないことがわかりますよね。 なくなく、惜しくも手放すということなのです。
使い方はこちらの例文を参考にしてください。
さらにくわしい解説は以下のページをチェック。
「二枚舌」はうそをつくこと
二枚舌(にまいじた)とは、「前後矛盾したことを言うこと、うそをつくこと」という意味があります。
語源は、仏教の「十悪(じゅうあく)」という教えから由来している。
十悪のなかに、「両舌(りょうぜつ)」というものがある。
両舌とは、口による悪さを表すもの。 両者にそれぞれ別のことを言って、ウソをついたりあざむくことを両舌という。
使い方はこちらの例文を参考にしてください。
さらにくわしい解説は以下のページをチェック。
「お陰様です」は仏教用語
「お陰様です」とは、人に助けてもらったり親切なことをしてもらったときに、感謝の気持を示す言葉として使われている。
私たちが何気なく使っているこの慣用句もじつは仏教から由来しているのです。
仏さまの加護や助け、自分のまわりにいる人達のおかげで生きているということを感謝する言葉として、昔から大切にされています。
使い方はこちらの例文を参考にしてください。
さらにくわしい解説は以下のページをチェック。
「天邪鬼」
天の邪鬼(あまのじゃく)とは、「人のいうことにわざと逆らうこと」という意味で使われている慣用句です。
別の表現に言い換えるならば、「ひねくれ者、へそ曲がり」といえる。
もともとは仏教の毘沙門天のお腹にある「鬼面(きめん)」が由来になっています。 その他には、毘沙門天に踏みつけられている天邪鬼の絵や像などがのこっています。
天邪鬼(あまのじゃく)とは、悪をばらまく邪鬼のことです。 仏教だけではなく、日本書紀や古事記にも登場しています。
使い方はこちらの例文を参考にしてください。
さらにくわしい解説は以下のページをチェック。
まだまだ追加していきます!!
随時アップデートしていきます。